さよなら共依存

自己愛と家族についての呪詛のような記録

父の記憶

うちは表面上4人家族だけれど、私は3人家族だと思っている。
家族といって思い浮かべるのは、私、母、妹の3人。そして私が中学のときから飼ってる犬だけだ。
小さい頃の記憶が曖昧だから、事実かどうかは別として、高校を卒業して大学に入り、一人暮らしをはじめてからというものの、思い返す実家の風景は、私1人きり(プラス犬)。もしくは母と妹との3人だった。

けれど、うちは母子家庭なわけではない。
同じ家に父親も住んでいる。ということになっている。
どうしてこんなにまどろっこしい言い方をするのかというと、父とは私が13歳のときから、すでに10年会話を交わしておらず、むしろ会話をする必要がないくらい、空間を共にしていないからだ。
物心ついたころから、父は私が寝たあとに帰宅し、私が学校に行ったあとに出かけていた。
食卓を一緒に囲むことなんて、週に一度あればいいほうで、それも私が大きくなるにつれてなくなった。
だから、小学生のころに、ふつうの家は毎日両親とともに夕飯を食べるらしいと知って、とても驚いた。うちはふつうじゃないんだ、とそのときはじめて自覚したように思う。
寝起きしているのは同じ家だし、どうやら血が繋がっているらしいし、保護者の欄には名前を書かなきゃいけないけれど、電車でたまたま隣にいただけの人とおなじくらい、まったくの他人だった。

そんな父(一応)のことがむかしから憎かった。
家族は私と母と、喧嘩ばかりしていた妹の3人だけで十分だと思っていたし、その3人の輪にいる異端分子が父だと思っていた。
まだ幼稚園児か小学生になりたてのころまで「離婚したらママについていくね」と何度でも言ったし、すぐにでも離婚してほしかった。
母が話す父の悪口には全力で同意した。家事から子育てからすべて、家庭のことにいっさい関わらず、母の負担を増やす父は敵であり、悪だった。

いちばんよく聞いたのは、「夕飯の有無を言ってこないくせに、用意していないと怒る」ということだった。
母は毎日、食べるのかわからない父の分の夕食を用意し、冷蔵庫には手をつけられていない夕飯がどんどん溜まっていた。
それと反比例するように、よく食べる私を見ると母は喜んだ。
食べることは好きだったし、残すことはもったいない。だから食べる。
いま思えば、私が食べるのを好きなことは、父が食べもしない夕飯を用意させつづけたことの影響なのかもしれない。そう思うとヘドが出る。

またあるとき、母が父の上司の呼び出され、「勝手に長時間の残業をするから困っている。奥さんからもなんとか言って欲しい」という話をされたらしい。
学校の面談じゃあるまいし、上司にそこまでさせるなんてと心の底から馬鹿にした。

たしか小学生のころ、めずらしく4人で食卓を囲んだ夕飯時に、私がプリンの蓋を舐めるとか、そのくらいの些細なことで、父が癇癪を起こし、まったく聞き入れようとしない私をダイニングから玄関まで引きずり、叩いた。ということが2度あった。
ひとしきり収まると、母が来て、父を怒り、当の父は正座をして下を向き、聞き入れていた。
私はそれを見て、ざまあみろと思った。
あんなものには私を叱る資格なんてない。
だって父親らしいことなんてひとつもしていないのだから。

そうして父を完全に憎み切るようになり、思春期に入った。
中学に入り、いままで本をいっぱい読むことと勉強ができることだけが自慢だったのに、受験勉強して入った私立の女子校ではこれまでの勉強が通じなかった。
成績はどんどん落ち、私はこれまで掴んでいたキャラクターを失くした。
くわえて、小学校を卒業する前に『西の魔女が死んだ』を読んで、死は怖いものではないと思うと同時に、自分の生きる意味がよく分からなくなった。
私は「何もしない」ことを選んで、中学では誰とも仲良くしようとせず、クラスの輪という名のヒエラルキーにも入ろうとせず、やがて母に無断で学校を休むようになった。
朝、学校に行ったふりをして、母が出かけたころにこっそり家に帰ったり、近所のショッピングモールをお腹を空かせながら彷徨ったりしていた。

そんな私の居場所はインターネットだった。
中学に入った頃に友達に教えてもらった漫画のファンサイトに入り浸り、毎日家の古いパソコンの古いマウスで絵を描いて、個人サイトなんか作ったりして、掲示板で知り合った友達と話したり、ブログに長ったらしい文章を書き連ねたりしていた。
全体がどうかは知らないけれど、当時私が仲良くさせてもらった子たちは、私よりもずっと家庭に問題がある子が多くて、あさましいけれど救われた気分になった。

けれど、次第に母が私の不登校に気づき、その原因がネット依存であるとした。
私は以前よりさらにこそこそと隠れてパソコンに触るようになった。
でも、家のパソコンはリビングにある1台だけだ。
深夜、父が帰ってくると、同じ空間にいたくない私は中断して、自分の部屋に戻るのがお決まりになっていた。

ところがある日、インターネットエクスプローラーのホーム画面に細工がされていた。
最初に開いた時間と、その一時間後くらいの時間を表示して、触っていいのはこの時間までだと書かれていた。
パソコンに関してまったくの無知で、みずから関わろうともしない母はこんなことするわけがない。
犯人はSEをしているらしい父に決まっている。
激しい怒りと憎しみが沸いた。
母に迷惑を掛けつづけ、父親らしいことなんて何一つしていないアイツが、私に教育できる権利があると思っているなんて、つけ上がっている。許せない。
私はすぐにホーム画面をヤフーに戻し、何事もなかったかのようにインターネットを続けた。

それから、私は父と言葉を交わしたことは一度もない。

そのパソコン事件とどちらが先だったか忘れたが、父が妹の名前を間違えたことがあった。
父が帰ってくるのはきまって終電なので、母は何か要件があるときは、テーブルにメモを残しておくのだが、そのメモへの返信として父が書いたコメントに妹の名前が1字間違って書かれていた。
それを見て「やっぱりアレは父親なんかじゃないな」と思ったのだ。