さよなら共依存

自己愛と家族についての呪詛のような記録

ぜったい喪主になんてなってやらない

まだ四捨五入したらギリ20歳なのに早くない?なんて世間では言われそうですが、今回はこのままいくと未来に控えているであろう親の葬式の話です。

 

これまで何度か書いている記事を見ていただければおわかりのように、私にはいちおう戸籍上父親はいますし、大学進学を機に実家を出るまでは、おなじ家で生活していたはずなんですが、かれこれ10年会話してません。

しかも、おなじ家に 住んでいるのに会話しない、というと、たいてい想像されるのは「お父さんが話しかけても無視する反抗期の娘」みたいなものだと思いますし、これまで他人に話すとそうだと思われて、うがーっと地団駄踏んだりしたものですが、違うんです。

父親はべつに夜勤の仕事とかでもなく、私もちょっと引きこもったりはしたけどふつうに学校に通い、勉強と部活に励む中高生だったのですが、そんなふうに私はごく自然に生活していても、家のなかですれ違うことすらありませんでした。

なぜなら、父親は平日だけでなく土日も終電で帰ってきて、朝は私が家を出るよりも遅い時間に起きるからです。

くわえて、ちいさいころから母に父親の愚痴を散々聞かされ、自発的に「離婚したらママについていくね♡」と言っていた幼女だった私は、だいぶモノが分かる年齢になってくると、ますます父への憎しみを募らせていきました。

社会人1年目のころに「父親の愚痴を聞かせること」がいまの私にどう繋がっているのかやっと分かって、一度絶縁を経て、なんやかんやあって私は母とは親子関係をやり直して、いますごくいい状態にあります。ですが、それを経ても、父への憎悪が変わることはありませんでした。

 

そしていよいよ本題の葬式の話をします。

私は長女なので、いまのままだと両親のうち後に残ったほうの喪主をしないといけないことになります。

あれを父親だと思ったことは一生のうち一度もないのに、「父親ヅラなんてされたらたまったもんじゃないからぜったいに結婚しないし結婚式したくない」なんて思っている私ですが、「結婚式よりも葬式のほうが避けられない事態じゃん……」ということに大学4年くらいのときに気付きました。

これはまずい。だってせめて火葬くらいはしないと犯罪ですし、そのまえに介護の問題だってあります。

戸籍上の父親であり続けていることだけでこんなに殺意が湧くのに、介護したり最期を看取る責任を負わなきゃいけないのかと思うと発狂しそうです。

 

「これはいまのうちに両親に離婚してもらうしかない」

 

メラメラとそんな思いを燃やしはじめました。

とはいえ離婚してほしかったのなんて20年くらいまえからですし、大学受験まえに推してるバンドの解散で絶望の底にいたとき「ぜったい大金持ちになってアレに札束投げつけて『これで離婚しろ』って言って、離婚させるんだからな」っていう憎しみだけで受験を乗り越えた人間なので、今更っちゃ今更なのですが。

来年、唯一の妹が社会人になるはずなので、切り出すとしたらそのタイミングかな、と思っています。

大学受験前夜に思い描いていたような、大金持ちにはなれてないし、投げつける札束もないけど、思ったら取り逃がさないうちに即行動がモットーなので、こわいけど、がんばって切り出そう。

それに、母と絶縁したときの身内がひとりもいなくなってほんとうにひとりぼっちになる恐怖にくらべれば、なんてことないですし。